AIZU BANDAI COUNTRY CLUB
福島県会津若松市河東町・昭和三十七年開場
磐梯山から猪苗代湖へ向かってゆるやかに下る大野ヶ原。江戸期には会津松平藩の演習地であり、大正十三年には皇太子時代の昭和天皇が草原を刈り払った鳥狩原のコースでクラブを振られた土地です。その跡地に、福島県で最初の十八ホールとして開かれたのが会津磐梯カントリークラブ。一番ティーのわきには、いまも記念の碑が建っています。
THE COURSE
磐梯山の裾野が猪苗代湖へ落ちていく、そのゆるやかな傾斜の上にコースはあります。無理に平らにせず、等高線の流れをそのままホールの向きに使いました。
設計は陳清水。川奈で腕を磨いた台湾出身のプロで、日本各地に骨のあるコースを残した人物です。ここでも、前半と後半でまったく性格の違う九ホールずつを組み立てました。アウトは3,519ヤードとフラットで長く、素直に距離を要求してきます。インは3,237ヤードと短いかわりに高低差が絡み、番手の選択で差がつきます。
コースレート72.6という数字は、6,756ヤードという全長から想像するより厳しい。フラットに見えるアウトでも、傾斜の向きを読み違えるとボールは思わぬ方向へ流れます。会津の地形をそのまま残した造成だからこそ、五十年以上経っても攻略の余地が尽きません。
そして、このコースを歩けば必ず磐梯山が目に入ります。とりわけ十六番、コース最高地点のティーインググラウンドから山に向かって打つ一打は、訪れた人が口を揃えて挙げる場面です。会津盆地を見渡す視界の広さと、正面にそびえる山の存在感が同時にある。
グリーンはベント。営業期間中は無休で、冬季はクローズします。雪深い会津の冬に休み、雪解けとともに開く。そのリズムで六十年以上、地元のクラブとして続いてきました。
THE HISTORY
江戸時代
大野ヶ原は会津松平藩の演習地でした。幕末には白虎隊が奮戦した古戦場としても知られ、会津の歴史がそのまま刻まれた土地です。
大正13年8月
皇太子時代の昭和天皇が会津を訪れ、草原を刈り払ってつくられた鳥狩原のゴルフ場で妃殿下とともにクラブを握られました。東北でゴルフが打たれた最も早い記録のひとつです。
昭和37年9月
その跡地に、福島県で最初の十八ホールとして開場。それまで県内には九ホールのコースしかありませんでした。設計は陳清水。
現在
一番ティーのわきに「東北ゴルフ発祥の地・昭和天皇 鳥狩原ゴルフ記念の碑」が建ち、開場時のルートをほぼそのまま残したまま六十年を超えました。
SIGNATURE HOLES
03
前半の早い段階で待つ池越えのショートホール。距離そのものより、水面を前にしたときの構えが試されます。ここを確実にパーで抜けられるかどうかで、アウトの残り六ホールの気持ちが変わります。
06
左へ折れるレイアウトで、ティーショットの落としどころが素直に見えません。無理に曲げにいくか、素直に刻んで残りを長く取るか。アウトが長いぶん、ここでの判断が後半の体力にも効いてきます。
16
コース最高地点のティーインググラウンドから、磐梯山を正面に据えて打ち下ろす一打。このコースの象徴といえる場面で、会津盆地が足元に開けます。景色に気を取られると距離感が狂うので、最後まで気は抜けません。
THE CLUB
入会は会員二名の紹介によります。会員数は正会員1,296名、法人正会員196名、平日会員17名。福島県で最初の十八ホールという出自を持ちながら、規模を大きくしすぎず、地元のクラブとしての性格を保ってきました。
運営は株式会社会津磐梯カントリークラブ。日本ゴルフ協会と東北ゴルフ連盟に加盟しています。練習場は210ヤード11打席と余裕のある広さで、スタート前に実戦の距離で振り込めます。
磐越自動車道の磐梯河東インターから五キロ。会津若松の市街地からも近く、猪苗代や裏磐梯の宿を絡めた過ごし方も組みやすい立地です。
ACCESS
DATA & PRICE
相場は日々変動します。名義書換料・入会預託金・年会費・入会条件等も変更される場合があります。最新の情報はその都度お問い合わせください。